外壁アクセス&メンテナンスのエキスパート

PROJECT STORYプロジェクトストーリー
外装工事
大手百貨店の「顔」を生まれ変わらせる
池袋駅東口のランドマーク・西武池袋本店。
日本ビソーは、1991年から30年以上にわたって
外装の改修工事に携わってきました。
数年おきに改修が重ねられ、
代々の担当者へと受け継がれていくバトン。
数々の有名商業施設の改修を手掛ける
日本ビソーにおいても
最高難易度のプロジェクトに挑み続ける
社員たちの物語を紹介します。
Episode1
厳しいルールと条件が課せられた
歴史あるプロジェクト

外装工事事業本部 第一工事部 部長
1993年入社
当時の上司から現場担当を引き継ぎ、初めて西武池袋本店の改修に携わったのは1995年のこと。当時は入社3年目で、業務量の多さに苦労した記憶があります。6年後の2001年には、幹線道路に面する東側の改修を行いました。幹線道路は歩行者が多く、しかも西武池袋本店は駅に直結しています。安全第一で工事を進めるには終電後の夜間作業がメインとなり、毎日20時半頃から現場に入っていました。また、そもそも商業施設の改修はオフィスビルなどと比べて制約が多く、中でも西武池袋本店はルールが特に厳しいんです。入退館時の手荷物点検が必須だったり、火気厳禁の工業材料が持ち込めなかったり、すべてを把握している人間が職人さんへの周知も含め、徹底的な管理を行う必要があります。

2012年には部下の海江田さんが現場担当になり、私もかつての上司と同じく、この歴史あるプロジェクトを次世代に引き継ごうと考え始めました。そして2020年、約20年ぶりに西武池袋本店の「顔」とも言える東側の改修を行うことになったのです。
今回、私が携わったのは外壁の状態の調査や、その結果に基づいた提案といった準備段階まで。実際に工事を動かしたのは、営業へと成長した海江田さんと現場担当の安藤さんです。お客様特有の難しさに加え、感染症対策のマニュアル作りなど、前例がない課題に取り組む難しさもあったと思いますが、お互いに協力し合い立派にやり遂げてくれました。
Episode2
最初の難関は幹線道路面へのゴンドラ設置。変則的な方法に対応

外装工事事業本部 第一工事部 営業
2006年入社
佐野さんが担当した2001年の改修でタイル面を塗装面に変えたので、今回の改修では美観回復を目的とした外壁補修とシーリング、塗装、クリーニングを実施。壁のデザインが変わっただけでなく、この20年で屋上の形状も複雑になり、ゴンドラの設置方法から検討する必要がありました。一から改めて考えなくてはならないことが多い中、特注を含めた吊り具の選定に関しては佐野さんが残してくれたベースを活用できて良かったです。
幅220メートルの巨大な壁面に大小合わせて23台ものゴンドラが設置された光景は圧巻でしたね。いよいよこれから本格的に外壁補修がスタートするという段階でしたが、最初の難関を突破できた感慨がありました。

実は、いざゴンドラの設置に向けて動き出そうとしていたタイミングで、多くの人の目に触れる正面部分の養生ネットにデザインプリントをしたいという要望が出たんです。法律上、広告目的のプリントはできないので、デザインが決定するまで正面部分の施工は延期に。正面部分を飛ばしてゴンドラを設置していく変則的な方法だったこともあり、無事に全面への設置が完了したときに大きな感慨があったのだと思います。
最終的に養生ネットにプリントされたのはSDGsに関する取り組み。新時代の工事を象徴するアイコンになってくれたと感じています。
Episode3
ひとりじゃない心強さ。
ずっとあり続ける建物に携わった達成感

外装工事事業本部 第一工事部 施工管理
2018年入社
西武池袋本店の工事は夜間作業が中心であり、お客様特有の難しさもある案件だと聞いていたので覚悟を決めて取り組みました。私は夜間に常駐していましたが、シーリングや一部塗装、ガラスフィルムの張り替えなど日中に進められる工程もあり、そちらを担当してくれたのはもうひとりのベテラン施工管理です。
また、私が休んでいる時間帯に新たな業務が発生することも多く、そういった場合の職人さんの手配をしてくれたのは海江田さんでした。夕方に目を覚ますと無数のメールが飛び交っており、止まらない現場の大変さを知ると同時に、「ひとりじゃない」と心強く感じたのを覚えています。

消毒などの感染症対策と共に印象に残っているのは、急遽、追加で実施が決まった看板の塗り替えです。お披露目に間に合わせるために外壁補修より優先して作業を進めなくてはならず、毎日15人もの職人さんを集めて足場を組んでいきました。
それまで、私がひとつの現場で管理したことのある職人さんは5人程度で、こんなにも大人数に指示を出したのは初めての経験。手配自体は上司のサポートのもと行いましたが、ここで生まれた多くの協力会社との繋がりは財産となり、今の私を助けてくれています。池袋は、学生時代から馴染みのある街です。そこにずっとあり続ける建物に携われたことに達成感を覚えています。