1990年代に入り、板ガラスの四隅をピンポイントで留めサッシを必要としないDPG工法が導入され始めると、外装材としてのガラスのイメージは劇的に変化した。それまでの窓ガラスから、外壁面 として一人立ちの可能な素材と見なされるようになったのである。もちろんガラス自体も進化した。強化ガラス、熱線吸収ガラス、同反射ガラス、複層ガラスあるいは3次元曲面 ガラスなど、近年の技術革新は著しい。また完全に工業化できるので、工法の合理化や経済性の点でも、優れた外装材になりつつあるようだ。

  この10年の東京をながめても、ガラス表現の斬新さを競う建築の話題には事欠かない。そしてガラス外壁の出現は、街の景観も変えた。最近の銀座通 りは、ガラスに囲まれた街路と化しつつあるだろう。澄んだ印象だが、その色のない冷たさや賑わしさの薄れた通 りに、一抹の淋しさを覚える。ガラスそれ自体は色を持たない。空を映し出せるほどの高さがあれば、ガラスのスクリーンは驚くほど豊かに表情を変えるのだが、街路から立ち上がるそれは、あくまで無表情だ。

  街の景観さえ変え始めたそれら現代のガラス建築の直接のルーツが、1920年代後半から30年代前半のヨーロッパ・モダニズム建築である。まずワルター・グロピウスによるドイツのデッサウにあるバウハウス校舎(1926年)を挙げよう。ガラスを主役にした非耐力外壁つまりカーテンウォールは、この建築によって初めて世の中に明示されたと言ってよいだろう。

  工房棟、教室棟、学生寮の主要3ブロックからなる校舎は、鉄筋コンクリートの柱梁構造である。外観は白と黒とで統一され、各棟に見合った水平窓やバルコニー付きの独立窓などが開く。そして3階建ての工房棟では絶対的な明るさの必要性から、3つの立面 全体が透明ガラスで被われることになったのである。スチールの格子状サッシを各階の床スラブ端部に直接留めることで、3階分を一気に立ち上がるこのガラス外壁は実現された。内部がす抜けのその様子を見ていると、ガラスが空間を包むまさに皮膜と化し、光は透過させるが風は断つ透明なカーテンになっていることがよくわかる。

  山口文象は、そのバウハウス時代のグロピウスに直接師事した日本人であった。若い頃に、隅田川の清洲橋や豊海橋のデザインを手がけ、土木にもたけた建築家であった彼は、ドイツから帰国後、黒部川第2発電所(1936年)の設計をする。水力発電機3基を納める棟と管理棟、変電施設棟の3つをひとつにまとめた建築は鉄筋コンクリート造とされた。驚くべきは、そのロケーションだ。今でこそこの工事の為に通 されたトロッコ列車で誰もが行けるが、当時は黒部渓谷の秘境であった。使える資材や機材の限られた中、山口は人手だけを頼りに、日本ではまだ珍しいピカピカのモダニズム建築をつくり上げたことになる。管理棟の張り出した水平窓の外壁、構造から一段奥まって巨大な格子窓を並べた発電施設棟の外壁。日本で最も純粋な1930年代のモダニズム建築そしてモダニズム外壁の好例が、とんでもない山奥で実現されたのである。

  やはりバウハウスに深く関係した建築家ミースは、1920年代前半に“ガラスの摩天楼”計画案を2題まとめている。ガラスの透明性もさることながらその反射性に着目し、ガラスの外壁に表情が与えられると彼は考えた。そして角度によって変化する反射具合や、鏡面となって風景を映し出す妙を外観デザインに生かそうと模索した。 1929年のバルセロナ万博時に、ミースはドイツの公式レセプションホール「バルセロナ・パビリオン」を設計する。モダニズム建築の金字塔と謳われるこの作品で、小振りながらも彼はガラス表現の可能性を徹底的に追求した。当時としては最大級と推察される大板ガラスがクロムメッキされたスチール枠で留められ、大理石と並んで外壁をつくっている。あらかじめガラスには薄くグレー色が混ぜてあり、反射の度合いを意図的に強めてある。その為このガラス面 は、内部を見せつつも外部の風景を二重写しにする、いわば並列された大理石の外壁に勝るとも劣らぬテクスチュアを獲得した。皮膜としてのガラスが表情を持つという、新たな方向性がそこに示されたと考えられる。

  一方パリでは、ル・コルビュジエがハイテクと呼んで何ら不思議でないメカニカルな表現で、ガラスのファサードを築き上げていた。ブーローニュの森のほど近くに建つ、自身のアトリエを最上階に構えたポルト・モリトールのアパート(1933年)である。穴あきスチール板のバルコニーの手摺りも含め、一見して工業化という20世紀の一大目標をストレートに表現していることがわかるだろう。中層部ではバルコニーの張り出しをガラスブロックと水平窓とで閉じつつ、内部へできる限り光を摂り込もうと試みた。それがほぼ面 一の外壁に納まり、かつ完全密閉された様子など、まるで機械の一部を見ているようだ。

  グロピウスのバウハウス校舎、ミースのバルセロナ・パビリオンそしてル・コルビュジエのアパート。モダニズムの3巨匠が同時代に挑んだ外壁としてのガラス表現は、三者三様であった。他方この各々に特徴的な3つの表現をブレンドした所に、現代建築のガラス外壁はあるとも考えられる。開放性と密閉性。透明性と反射性。ガラスの外壁は、いつでもこの相反する表現の2面 性を持ちながら、今も多くの建築家を魅了し続けている。

バウハウス校舎

バウハウス校舎
(デッサウ/ドイツ)

黒部川第2発電所
黒部川第2発電所
(富山/宇奈月町)
バルセロナ・パビリオン
バルセロナ・パビリオン
(バルセロナ)
ポルト・モリトールのアパート
ポルト・モリトールのアパート
(パリ)
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