No.10 “50の建築、50の外壁”9 石造の壁(カサ・アマッリェー(1901年)、カサ・ナーバス(1901年)、旧唐津銀行(1912年)、心斎橋大丸(1933年)

 昔から石は、ヨーロッパの組積造建築の耐力壁には不可欠の素材であった。千年、2千年単位 で長持ちする石壁は、永遠の思想も育んだ。

  ひと口に石と言っても多種ある。堆積岩(砂岩、石灰岩等)、変成岩(大理石、粘板岩等)、火成岩(花崗岩、安山岩等)に大別され、硬さはこの順に強まっていく。中世の大聖堂やルネサンスやバロック建築など、ファサードを豊かな彫刻で飾った建築の多くは、比較的軟らかな砂岩や石灰石で築かれた。大理石の外壁ともなると、特に重要な建築にのみ許された表現であった。最も硬い花崗岩は細工が困難だが、昔から道路の石畳舗装に使われてきたこともあり、床や基部といった、強さの必要な部位に使われた。

  そうしたヨーロッパの建築的伝統に深く根付いてきた石を、近代の建築家たちはどのように扱っていったのだろう。外壁が多くの場合にまだ組積造の耐力壁であったアール・ヌーヴォー時代の建築をみてみよう。彼らはレンガやタイル、鉄、ガラスといった多様な素材を使ったが、量 感豊かな装飾性は、やはり石からしか得られない。そこで加工のし易い砂岩をむしろ積極的に利用することになる。

  バルセロナのモデルニスモを代表する建築家プッチ・イ・カダファルクのカサ・アマッリェー(1901年)は、チョコレートの製造販売で財をなした実業家の住宅兼アパートである。屋上に聳える切妻にはタイルが張られたが、1階基部や各階窓枠には砂岩が使われ、華麗な彫刻が施された。スペインのゴシック様式の再解釈を試みた作品だけあって、石造の窓桟が火焔模様<フラン・ボワイヤン>を描き出す。圧巻は馬車の入口を併設した玄関の縁取りで、アマッリェー家の一人娘をモデルにした中央の少女像からレースのように流れる、柔らかな表情の石が見られる。

  石工職人たちの層の厚さや技術が、20世紀を迎えても保たれていたことを示すもうひとつの例は、ガウディのライバルであった建築家ドメネックがバルセロナ近郊の町につくったカサ・ナーバス(1901年)である。外観をすべての砂岩で築いた、1階に店舗を納めた3階建ての個人住宅である。ドメネックはガウディに勝るとも劣らぬ ほどに華麗な、タイルによる色彩モザイクを外壁に駆使した人物だった。しかしこの住宅での色彩 は、どういう理由か内部にのみ使われた。その代わりなのか、外部の砂岩へ施された装飾の密度といったら尋常ではない。超のつく、特濃だ。カタルーニャ地方の州花であるバラが、極めてリアルな姿で至る所にレリーフされている。3階バルコニーを兼ねた2階の出窓回りでは、複雑極まる透かし模様さえ登場する。デザインを描き起こした建築家の力量もさることながら、それを見事に形に仕上げた石工たちの腕には、脱帽である。

  残念ながら建築に携わる石工たちの層が昔から薄い日本では、組積造の外壁は皆無に等しい。また石で量感ある、かつ濃密な装飾を施したカサ・ナーバスのような外壁もない。だからと言って石材を活用した建築がないわけではない。歴史様式の学習期であった明治から大正にかけて、装飾性こそ乏しいが十分に美しい、石を使った壁が数々つくられている。

  辰野金吾の愛弟子、田中実の旧唐津銀行(1912年)では、師ゆずりのレンガと白石による端整な外壁に出会う。石の置かれた所は、窓回りなど構造上の要点でもあり、簡単な幾何学模様をあしらって、その石の武骨な表情を和らげている。

  さらに手の混んだ例が、ヴォーリズの心斎橋大丸(1933年)だ。アール・デコに彩 られたニューヨーク摩天楼のファサードを彷彿させる外壁である。中層部をタイルで覆いながら、基部と屋階とを花崗岩でサンドイッチ。しかもこの硬い石には星形状の透かし模様や鷲なども刻まれた。こうした規則的、幾何学的な造形は、建築には不馴れであっても、石燈籠などをつくってきた日本の石工たちにとっては、むしろお手のものであったのかもしれない。

カサ・アマッリェー
カサ・アマッリェー
(バルセロナ)
カサ・ナーバス
カサ・ナーバス
(レウス/スペイン)
旧唐津銀行
▲旧唐津銀行
(佐賀県唐津市)
心斎橋大丸
心斎橋大丸
(大阪市)
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