No.9 “50の建築、50の外壁”8 多様なレンガ外壁(テレシア学院(1888年)、グルントヴィ教会堂(1940年)、ヘキスト工場事務棟(1924年)、渡辺翁記念会館(1937年)

 ガウディは表面を被覆仕上げせず、構造を露出させたままで外壁と成した建築を幾つか残している。バルセロナの名門女子校テレシア学院(1888年)も、そのひとつである。細長い直方体の外観が、遠目に眺めても近づいて見てもレンガ色に見える。それも道理、鋭った放物線形のアーチ構造を築くレンガが直接外へ出ては、壁を立て窓を開けている。間を土色の砂岩で埋めてあるものだから、まるで大地がむっくりこの形に脹れ上がって建築になったようだ。

 ガウディがここで用いたレンガは20cm角、厚さ3cmほどの薄板状である。ちょっと特殊な形だが、バルセロナでは昔からこの形状が普通であったらしい。彼はそれをひねりながら積み上げて、コーナーに巨大ねじれ柱の装飾を付けている。その表面 を漆喰で厚塗り仕上げしてはどうか。たちどころに後年のガウディが好んだ二重螺旋の塔や柱が出来上がる。レンガ1個は、決まりきった形である。しかし建築的スケールの造形に用いた場合、積み方次第でセンチ単位 の変化を線や面に与えられる。実は造形の自由度の極めて大きな建築素材といえよう。

  ところで幕末の長崎で初めて焼かれたレンガはやはり薄板状、別名“コンニャク煉瓦”と呼ばれるものだった。現在のレンガは、規格で長辺21cm、短辺10cm、厚さ6cmと決められている。例外はあるものの、このサイズは概ね古今東西でスタンダードとされる。元来レンガは手仕事で積み上げられる素材だから、手に馴染む寸法が、自然に決まったものと思われる。そしてこの一般的な形状のレンガであっても、いかに多様な外壁の表現を生み出せる素材であるかは、ヨーロッパ各地に残された近代建築が如実に物語っている。

  まずはレンガのみでどれ程大きな建築がつくれるのかという例に、コペンハーゲンのグルントヴィ教会堂(1940年)を挙げよう。ヤンセンとカーレのクリント親子が2代にわたって完成させた、デンマーク最高の聖人を祀る聖堂である。素材は内外同一、乳白色の単一形レンガで、構造は純然たる組積造そして使われたレンガ数は5,600万個に上る。正面 ファサードを見ただけで、その途轍もない大きさと量感はすぐわかる。まるで巨大な岩の塊ではないか。しかも単に積み上げるだけでなく、御堂内に安置された歴史あるパイプオルガンを模し、幾筋ものレンガ壁が中心に向かって集まり強い上昇感を生むという、見事な表現を獲得している。

  大正から昭和初めの日本に大きな影響を及ぼした北ドイツの諸都市に起きたドイツ表現主義もまた、レンガ造形の自在さを追求した。かつてのIGファルベン、現在のヘキスト工場事務研究棟(1924年)は、モダニズムの先駆者ベーレンス晩年の作品である。ベーレンスはここでは鉄やガラスを外観に使うことをやめ、ひたすらレンガで積み上げた外壁を披露した。形状と色の異なる2種類のレンガを使い分け、美しいストライプを描き出す。同時にレンガは縦横自在に積まれ、わけても放物線形の窓回りでは、まるで光が四方八方へ放射されるかのような表現をみせている。よく見るとレンガはキーストーン形に束ねられており、ちゃんとアーチの構造になっているから、驚きだ。

  残念ながら日本では、関東大震災(1923年)以降、レンガの純粋組積造は許されなくなった。東京駅のレンガ壁は鉄筋で補強されている。その鉄筋を通 す分、造形上の自由度は減る。しかし組積造ではないものの、村野藤吾の宇部のホール<渡辺翁記念会館>(1937年)は、ドイツ表現主義を彷彿させる外壁を実現した。衝立てのように低く3重に立てられた正面 外壁が、ゆるやかなカーブで優しさを呼ぶ。レンガと同寸のそのレンガタイルを、ランダムに出っ張らせては手仕事的な素朴さを残しつつ、一方ではガラスブロックで面 一(つらいち)の光り壁をはめ込むという、当時最先端の表現も加味された壁だ。戦前日本のレンガタイル壁の頂点とも言える作品である。

テレシア学院
テレシア学院
(バルセロナ)
グルントヴィ教会堂
グルントヴィ教会堂
(コペンハーゲン)
I.G.ファウベン(現ヘキスト)工場事務研究棟
▲I.G.ファウベン(現ヘキスト)工場事務研究棟
(フランクフルト/M,ドイツ)
渡辺翁記念会館
渡辺翁記念会館
(山口県宇部市)
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