No.7 “50の建築、50の外壁”6 日本の様式建築(三井倶楽部(1913年)、明治生命本館(1934年)、東京女子大チャペル(1938年)

 “様式建築”などと言うと、今さら古くさいと思われるかもしれない。しかし現在のレトロ・ブームの中で、TVドラマや映画にしばしば登場する西洋館の大部分は、この様式が外観表現の大命題であった昭和初期までにつくられたものである。あるいは最近のアメリカナイズされたホテルでは、外観の一部やロビー・インテリアにこの様式を再現し、豪華さや格式を訴えかけるのが普通 になった。

  モダン・デザインが起こるまでの日本建築の西洋化は、イコール様式マスターの過程だったと言ってもよい。その西洋の歴史様式をきちっと日本へ伝え根を下ろさせた人物が、工部大学校(現東大)の教授として弱冠24歳で招聘されたイギリス人ジョサイア・コンドルである。明治10年のことであった。彼は建築の最終目標は美の表現であり、美は様式にのみ存在すると考えていた。

  後年のコンドルは在野の建築家として邸宅を中心に活躍し日本で生涯を終えるが、この三井倶楽部(1913年)は晩年の大作で、正円アーチを基本にしたルネサンス様式でまとめられた。構造はレンガ造である。庭園側ファサードは1、2階とも列柱廊の開くバルコニーとされた。本家イタリアでの列柱廊は円柱と決まっているが、ここでは角柱の付け柱(ピラスター)がアーチ間の外壁に立てられ、あたかも上階を支えている風を装っている。アーチ中央にはキー・ストーンも打ち込まれた、手堅い様式表現といえる。中央のアーチ3つ分を凸面状に突き出させたのは、ルネサンスに続くバロック様式を意識してのもので、バルコニー空間と庭園との一体感を強めようとの目論見だ。日本に正統派様式建築を伝え、初期の作品にあの鹿鳴館(明治16年)というクラブ建築があったコンドル先生ならではの、優雅なファサードであろう。
 様式では台座から柱身、柱頭までを含めた柱のデザインをオーダーと呼び、外観表現の基本中の基本とされる。そして古代ギリシア神殿にならって、オーダーにはドリス、イオニア、コリントの3つの様式名が付けられた。

  岡田信一郎による明治生命本館(1934年)のファサードを飾る列柱は、コリント式の代表例である。アカンサスの葉が伸び広がって梁を支えるような柱頭デザインがコリント式の特徴で、華やいだ印象を与えよう。このファサードでは、ルネサンスの時代に確立された全体のデザイン作法がよく守られている。まず基部である1階は、重厚な石壁に穴のようなアーチ窓を開く。2階から6階までを、コリント式の列柱10本がまるでベランダのように開放し、軽ろ味を与える。そして屋階に当たる7、8階で軒をやや深くとり、再び外壁の目立つ堅牢さでしめる。下から順に、重軽重の3つのリズムでファサードを構成することは、様式建築ひとりに限らず、現代の建築にも受け継がれていると思われる。

  この明治生命本館を最後に、様式建築の大作は日本から姿を消すが、続くモダニズムの時代を迎えてもなお、雰囲気の踏襲といった形で様式は時折顔を出す。アントニン・レーモンドによる東京女子大チャペル(1938年)もそのひとつだ。打ち放しコンクリートが再現するゴシック様式である。ゴシックは中世の大聖堂建設を通 して発展した様式で、特徴はオーダーではなく、尖頭型をしたアーチとステンドグラスにある。当時この大学の校長をしていたライシャワー夫妻がゴシックを希望したらしい。レーモンドは尖頭アーチこそ使わなかったものの、段々に天へ伸び上がる塔と壁全体を囲むステンドグラスによって、光の籠と化したゴシック空間を再現した。壁は十字と円、正方形を鋳込んだプレ・キャストのコンクリート・ブロックの積み上げで、図形の間隙に色ガラスをはめた。

  様式が西洋化の証しであった時代は昭和初めで終わるが、それ以降もプロポーションや雰囲気といった隠れた所で、ファサード・デザインの中に生き続けている。

三井倶楽部
三井倶楽部
(東京都港区)
明治生命本館
明治生命本館
(東京都千代田区)
東京女子大チャペル
東京女子大チャペル
(東京都杉並区)
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