No.4 “50の建築、50の外壁”3 美しい窓割り(救世軍施設(1933年)、郵便貯金局(1901年)、チリハウス(1924年)、パイミオのサナトリウム(1933年)

 近代建築の巨匠ル・コルビュジエによる浮浪者の救済宿泊所、パリの救世軍施設は、竣工当初(1933年)南側外観を完全密閉のガラスのカーテンウォールで仕上げていた。空調設備で温度や換気を管理する計画だった。しかし太陽光の直射する南面 をガラス張りとすることなど当時としては無謀な試みで、第2次世界大戦後に改修を余儀なくされた。そして開閉可能な窓と箱形日除けのブリーズソレイユの付いた、現在の姿になる。階ごとに原色で塗り分けられたその姿は、まるで最初からそうであったかのように美しい、窓と外壁とが織りなすファサードではないか。

  当時としては無謀としか言いようのなかったガラスによる完全密閉外壁は、現在では超高層ビルの外観として当たり前になりつつある。あるいは超高層マンションでは、耐震性の強化もあって、構造格子が外観に直接出ているものが大部分である。つまり現代の都市に建ちつつある巨大な垂直外壁から、窓という建築で最も親しみの持てる形が消え始めたのである。これはかつてなかった現象だ。

  尚古集成館(1865年)の石壁が、小さな縦長の窓のあることによって西洋式の外壁に見えたように、窓こそは、西洋建築の外観でまず第一に留意すべき造形ポイントであった。石やレンガの組積造で外壁をつくった時代、頑堅な石材が手に入ればそれを上部に渡して四角の窓を開けた。それはたとえば辰野金吾による東京駅の、レンガと白石による外壁表現に受け継がれている。石材を使わない場合はアーチ構造を用いたために、窓の上部は湾曲することになる。

  アーチ形は、ロマネスクだとかゴシックという時代を反映させたのだが、その湾曲した窓表現を近代でも踏襲したのが、ブダペストのアール・ヌーヴォーを代表するエデン・レヒネルによる郵便貯金局(1901年)の外壁だ。
 同一形態の窓が、規則正しく整列している。壁はレンガの組積造で、窓枠を少し厚くし、その部分だけを残し他を白く塗ることで窓の存在を強調した。そして間の外壁に、貯蓄による豊かさを奨励する果実や花を描いた。窓の描く美しいアーチ曲線は、最上階でまさにドナウ川の波を象徴する連続模様へと変化し、外壁全体を締めることになる。単調なパターンに陥りがちとなる窓割りは、構造のレンガアーチを露出させ、かつそれに触発された連続曲線で建築全体を縁取ることによって、見事なまでに存在感のある表現へと変身を遂げているように思われる。

  同じく単調な配列の窓ながらも、その数の多さで見る者を圧倒する窓がある。ドイツ表現主義の代表作、フリッツ・ヘーガーのチリハウス(1924年)である。海運会社の連合ビルで、建物全体が巨大なオーシャン・ライナーの形を模して、紡錘形をしている。そしてその巨大さを如実に物語るように、大きく膨らんだ中央部をトンネル状に開き、道路を通 しているから驚くほかはない。総レンガ造の外壁に配された夥しい数の窓群のサッシは白塗り仕上げ、最上階の窓のみをアーチ形として全体を優しげな表情で納めてある。

  この2例の窓は縦長形で、歴史的な窓の定番と言える。それに対しモダンデザインの窓は横長形、しかもあたかも外壁を横断するかのごとき水平連続窓ともなると、間違いなく1920年代、30年代モダニズムの専売特許である。フィンランドのアアルトによるパイミオのサナトリウム(1932年)では、水平連続窓が幾段にも積み上げられ、まるで窓と白塗り外壁とがストライプ模様を描いているようだ。構造は鉄筋コンクリートだが、外壁はレンガによる非耐力壁で、むしろ窓のスチール・サッシが梁のような役でレンガ壁を補強しているのである。東京などに残る古めかしいビルを見かけたら、ぜひこの水平連続窓の有無を確認して欲しい。横長形の窓があれば、それは間違いなく、モダニズム建築。

救世軍施設
救世軍施設
(パリ)
尚古集成館
尚古集成館
(鹿児島県鹿児島市吉野町)
郵便貯金局
郵便貯金局
(ブダペスト)
チリハウス
チリハウス
(ハンブルク)
パイミオのサナトリウム
パイミオのサナトリウム
(パイミオ/フィンランド)
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