No.3 “50の建築、50の外壁”2 アール・ヌーヴォーの冒険(オルタ邸(1901年)、ブリュッセルのアパート群(20世紀初め)、五大陸の家(1901年)

 19世紀末から20世紀初頭の数十年間、ヨーロッパ各地でアール・ヌーヴォー建築のブームが巻き起こる。そのデザイン上の特徴は、草花などの自然界の形や色をテーマに、しなやかな曲線や艶やかな色彩で建築の内外を被ったことにあった。それまでつくり続けられてきた石造建築に伝統の柱や破風といった重々しい外壁装飾に別れを告げる、近代最初のデザイン革命であったと思われる。

  一方でアール・ヌーヴォーは、産業革命がもたらせた科学と技術への強い関心もベースに持っていた。鉄材の積極的活用など、美しいデザインは当時の最新技術が可能にした。いわば20世紀初頭のハイテク・デザイン、それがアール・ヌーヴォーである。

  このスタイルの旗手であった建築家オルタの自邸(1901年)を見てみよう。穏やかな、19世紀後半につくられた中層アパートの並び建つ街路の景観に合わせるべく、アール・ヌーヴォーの代表作にしてはおとなしい外観だ。白い石肌を基調に、黒い横縞を何本か走らせる外壁である。そこに付く複雑な曲線で構成された窓桟や手摺などのアクセサリー的な鉄細工も、明るい灰色仕上げであまり目立たない。

 ただしよく観察してみると、それらは驚くべき技術的な冒険を試みている。玄関の庇を兼ねた2階のバルコニーは、上階からの半吊り構造で張り出されている。しかも階下の玄関が暗くならぬようにと、床は厚30ミリほどのすりガラス張りである。ガラスで床を張る。この一事を持ってしても、オルタがいかに技術を信奉していたかが十分に納得されよう。

  ところでブリュッセルはパリやバルセロナと並ぶアール・ヌーヴォー建築の宝庫だが、それにはこの街固有のある政策の影響が大きく働いた。パリとは異なり大規模な都市再開発を19世紀後半にしなかった代わりに、当時の市長が主に子供たちの情操教育を目的に、街路の芸術空間化構想という、ひと味違った街づくりを提唱したのである。建て替えや新築に際し、ファサードを新しい時代にふさわしい芸術的表現でまとめ、街路をそっくり美術館に仕立ててしまおうという考えだ。その施策とアール・ヌーヴォーの抬頭期とが、ブリュッセルではぴたりと合ったのである。

  たとえばブリュッセルの西の一画を占める「森の公園」前の街路に建つネリッセンなどの一群のアパートのファサードは、その好例である。ここに並び建つ4,5軒の中層アパートは、19世紀末からの約20年間のそれぞれに違う建築家による作品で、外壁の表現や素材はどれも異なっている。だがタイルに縁取られた二重円のバルコニーを開くアパートを中心に、各棟デザインを競いながらも不思議と雰囲気はまとまっている。日本ではあまり目にすることのない、建築群としての外壁の美しさを思わずにはいられない。あたかも美術館のような街路をつくろうという市長の提案は、決して荒唐無稽な考えではないようだ。

  そもそもアール・ヌーヴォーとはフランス語の“新しい芸術”という言葉に他ならず、外観のデザイン上の新奇な表現では枚挙にいとまがない。そんな中でこれ以上のものはないと思われる奇抜なファサードの建築がベルギーのアントウェルペン(アントワープ)にある。船舶製造業者のオフィス兼自邸の「五大陸の家」(1901年)である。こともあろうに外壁コーナーを貫いて出てきたかのように本物の木造船が大きくその舳先(へさき)を突き上げ、2、3階のバルコニーにされている。施主の商品であってみれば、現代のCIにも劣らぬ 、この家に最適なデザインであり表札だろう。住宅全体も、ガレージ上のテラスをデッキに模するなど船舶の形をなぞっている。それにしても本物の木造船とタイル外装の建築とを合体させてしまうとは、アール・ヌーヴォーの外観デザインの冒険心は、底が知れない。

オルタ邸
オルタ邸
(ブリュッセル/ベルギー)
森の公園沿いのアパート群
森の公園沿いのアパート群
(ブリュッセル)
五大陸の家
五大陸の家
(アントウェルペン)
日本ビソートップページへ エッセイ壁 インデックスへ戻る